祝・開院一周年 今だから話せる話

お蔭様で色々な心配もありましたが、一周年を迎えられることができました。
これも、応援してくださった患者様をはじめ、スタッフの皆、クリニックモールの皆様、ビバモールのスタッフ、地域の皆様、業者様、私の友達もろもろの方々のお蔭です。重ね重ね御礼申し上げます。

よっこらしょ そろったぞ 機械たち まだまだあるよ!(途中でめんどくさくなったので、全部揃えるのやめただけです←負け惜しみ?)

前職を辞め、就職活動したのですがアラフィフの就職はことごとく落とされまくり、アラフィフの就職の難しさを痛感したころにきた開業物件のお手紙、子育てとの両立(実は院長サレ妻→子連れシングルマザー)もできそうな自宅から近い物件なので、開業も考えるようになりました。

一緒にモールを展開するプラザ薬局さんは、神様のように右も左もわからない私をサポートしてくださり、隣のあんずスカイクリニックの先生も穏やかで優しい先生でしたので、安心して開業することができました。(実は開業半年前に顔合わせしてるんですよ!)

開業するにあたって、どういう医院にしたいか決めるのですが、もともと私は美容なんて大嫌い(そもそも顔も洗わない)、なのに研究分野がメラノサイト中心(しみの原因になる細胞)で自分が格闘した論文がアメリカの癌専門雑誌に掲載されたりしたので、大学病院では教授に美容外来立ち上げを命令されて、嫌々美容外来立ち上げて、東京や地元秋田の美容専門クリニックに修行に出されました。日本皮膚科学会では美容皮膚科レーザー指導専門医の初代委員を務めることになり、美容皮膚科の大御所の先生の激仕事ぶり(夜中の3時にメール出すと、3時に返ってくる)にハムスターみたいにぐるぐるまわりながらついていくことになりました。

さいたま赤十字病院は。そんな美容どころではないびっくり救急病院ですので、美容とは全く縁がない生活を12年間(皮膚科なんでも屋が私が一番好きな分野で、ここはそういう意味では私に適した病院でした)、でも美容皮膚科レーザー指導専門医は維持するために学会に地味な格好で行ったり(派手な女医さん多いです)してました。キラキラ女医どころではないシワシワ女医です😱 ここでは忙しすぎて、昼ご飯もまともに食べられませんので昼は母がダイエーでまとめ買いしたクリームパン2個を診察の間に飲んでいました。更年期のホットフラッシュで汗まみれで、手拭い常備で、脱水になってしまって点滴3回も受けました・・・ ミネラルは大切です。脱水になってからは、毎日OS−1を2本飲む生活で(本当に脱水だとおいしく感じます。私にとってはピーチ味でした)、ドラッグストアではOS-1買いすぎで従業員に怪しまれた(腎機能障害に成りますよ!といわれた)こともあります・・・

でも、開業するとき美容皮膚科レーザー専門医の単位維持のために美容皮膚科もやっとかなくちゃなーと思って美容皮膚科を標榜、開業準備期間は美容皮膚科等をやっているクリニック中心に働きに行ったりしてみてました。そしたら、家電ヲタクの私は美容皮膚科の機械類にちむどんどんしてきて、なけなしの貯金も崩して外車の値段並みのレーザー類を開業準備で買いましたよ😭 だから使って!お願い!

これで十分だろーと思って開業したら、患者さんのニーズも掴めてきて、さらに増やした機械類。私には我が子のようにかわいい機械類です。鉄男の息子も、クリニックの機械が大好きで(施術はさすがにしてません)皮膚科医の道に憧れてますが、学力が足りず塾辞めたいと最近泣いて電話をかけてきました(まだ小5)。中学受験あるあるなので、適当におだててのせときました。

前職を辞める前は法科大学院を受験して奨学金付きで合格して(プチ自慢)、弁護士か法律に詳しい皮膚科医の道も考えたのですが、シングルマザーは子供を一人前にするのが一番の任務、そこの法科大学院は仕事との両立禁止だったので泣く泣く諦めました。法律に関しては、離婚の時にお世話になった弁護士の先生に顧問になっていただき、色々ご心配いただきましたが元気に生きていることを喜んでもらえました😁

だーらだら書いてしまいましたが、紆余曲折、最後にここまで支えてくださったスタッフの皆にとびきりの感謝です💕 みなさん、大好き♥️ いじめたら、隠しボタン一発で蕨警察署とセコム呼びますからね(*`Д´*)!